なんて、大袈裟なタイトル。。
皆さんにとってラーメンとの出会いってなんだったのでしょうか?
僕は、東京23区の一番奥の街で生まれ育ちました。
少なくとも僕の街には今で言う「美味しいらーめん」なるものが存在しておらず(そもそもそんな店、世の中にほとんどない時代だったんですが)、近所の出前してくれるそば屋や中華で食べるものでした。(もしくは家庭で作る、もしくはカップ麺)
この出前のらーめん。子供心にいただない代物でして・・・・僕は中学を卒業するまでらーめんは嫌いな食べ物でした。(カップらーめんは好きでした(笑))
そんな僕が初めてラーメンと出会ったのは高校時代。
僕は毎朝、バスで吉祥寺まで出てそこから電車に乗り換え通学していました。
その際にバス停の正面、牛丼松屋の隣に小汚い、バラックのような小屋があり、その小屋には「ホープ軒」という文字が書かれていました。。
(確かにこんな店だった。。けど、何故白黒なんだろう(笑))
当初は全く興味を持たず、「あんな汚い店には入りたくない」と思うばかりでしたが、後に「あの店美味いんだぜ!」って噂を聞くようになり、ある土曜日の下校時(当時は学校は全て土曜半ドンでした。今違うんでしょ?(笑))思い切って入ってみることに・・・
この時の記憶は今も鮮明です。いやぁ驚きました。初めて「らーめんって美味いんだ!!」って思えました。。
今思えばこの入り口は(気の利いたらーめん屋がほとんどなかったこの時代において)とってもラッキーだったのだと思う。。
歴史の浅いラーメン界。随分前に「日本のらーめんの夜明け」的な本を読んだ時にこんな内容になっていた。。
「その昔(70’s?80’s?)中野坂上にホームラン軒という伝説の屋台があった。。当時には珍しい豚骨を沸騰させたコクの強いスープが人気だったお店。この店のファンである三名のタクシー運転手が主人のお願いして一緒に屋台を引かせてもらうことに。。。
後にその三名はそれぞれ千駄ヶ谷「ホープ軒」と恵比寿「香月」、堀切「弁慶」に発展していった・・・・
そして、その三店に影響された人達がどんどんお店を出し、世の中は「豚骨醤油ブーム」が・・・この時点で(80’s後半〜90’s前半)は世の中には「美味い店」が増殖して一大ラーメンブームがやってくる・・・・
その後色々な「ご当地ブーム」だのなんだのを経て、今日の「Wスープだの・・」って世の中になった・・・」
という流れの中、かなり源流に近いところで出会った「ホープ軒」。
他の人より「ちょっとだけ早く」ラーメンに興味を持つことになるのであった・・・
その後は千駄ヶ谷にしろ、三田の二郎(当然角の時代)だの、「美味いという噂の店」はなるべく訪れて食べる高校生になるのであった・・・・
で、この時代から今日まで食べてるのは「二郎」と「天下一品」(笑
先日も会社の近所の二郎にひとりで行ってきました。
小(昔はW)ヤサイ、辛め、ニンニク。。
この時点で、仕事(商談)は破滅します(笑
長々とスイマセンでした。えっ?誰も読んでないって??(笑